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NYにて

もう当分は来る事も無いと思っていたNYに、こんな形で行くことになるとは・・・
乗り継ぎ地のバンクーバーで妹へ電話して、空港には彼らの友人で私達も会った事のあるご夫婦が迎えに来てくれることを聞きました。
NYへ着けば、まずは妹達の家へ行き、その後どうするか決めようということでした。

JFKの到着口を出ると、目を真っ赤にはらしたメアリー夫婦が待っていてくれました。
マークスのお兄さんまで来てくれていて、「これからすぐに病院へ行こう」と言われ、状況が悪いのかも・・・と不安に思いました。
現地時間ではもう夜の12時頃のことです。

病院に着くと、妹が待っていました。
母への第一声は「ごめんね、心配かけて・・・」でした。
こんなときまで人の事をおもいやるなんて、つらいです。

病室には、初めて会う彼のお姉さん夫婦、お母さんがいました。
ハワイであんなに元気だった彼は、チューブをたくさんつながれ、変わり果てた姿でした。
ただ、涙がでました。
苦しそうで・・・・
一目見て、「もう駄目なんだ・・・」ということが分る状態でした。
私達が来る前に、一度心臓が止まったそうです。
でも、「もうすぐ母と姉が来るから、頑張って」との妹の祈りを受け入れて、頑張ってくれていました。

一旦妹の家へ帰ることになり、お友だちの日本人の方と3人で病院を後にしました。
その後、AM4時くらいでしょうか、妹から「亡くなった」との電話が入りました。
まさか、こんなに早く・・・・

ドクターには、朝10時の時点でこれからの事を相談しましょうと言われていたそうです。
生命維持装置をどうするか・・・との相談です。
どうするか・・・なんて、誰も決められないですよね。
彼が苦しむのを持続させるのはつらいけど、維持装置を外してもらうということは、逝ってしまうということ・・・
それをどのように決断しても、必ず心の傷となって残る筈です。
彼は、妹のことを心から愛していたので、そんなつらい決断をさせないように自分で逝ってくれたのだと思います。
本当に、心の優しい人でしたから・・・

それからの事は、色々な現実的な処理で忙しく、日々があっという間に過ぎていきました。
哀しみにひたるヒマも無く、お葬式やその他の準備をしなければならなかった妹は、本当に大変でつらかったと思います。
彼の家族との文化の違いもありますし、アメリカでの風習など、分らないことだらけでした。

そんな中、たくさんの方々が救いの手を差し伸べてくださいました。
私と母がぼんやりしているのに、色々と気遣って下さった日本人の方や、妹の職場のボス、彼の職場のボス、妹たちの友人たち・・・
本当にありがたかったです。

無事にお通夜、お葬式も終わり、私だけ一足先に帰ってきました。
母はまだ残っています。
私自身、まだまだ気持ちの整理はつきません。
ぽんちゃんと二人で、マークスの思い出を話しながら、涙が出る時もあります。
一番つらいのは、愛する人に先立たれた妹であって、先立つしかなかったマークスなのです。
彼らはお互いの事を心から思い合っていた、最高の夫婦でした。
あれだけ愛し合える人に出逢えて、お互いに幸せだったと思います。
例え短い結婚生活だったとしても、長さよりもお互いを思いやる気持ちが大切なのですから。

本来ならば、一緒に年を取っていきたかったでしょうが、マークスは妹をずっと見守ってくれていると思うのです。
彼が亡くなってから数日間、寝室にいると、彼の香水の香りがふっと匂う瞬間が何度かありました。
風も無い日なのに、すっと風が通って、香りがするんです。
きっと彼が近くにいたんだと思います。
そんな風になって彼はすぐ近くにいるのだと思います。


彼にお別れをする時、「心配しないでね。 あなたの愛する妹と、猫のルナは私達がケアしていくから。」と約束したのです。
だから、心配しないで見守っていてね。
まだまだあなたを過去形には出来ないし、今でもあのケンケンの様な「シシシシ」という笑い方で笑ってくれそうな気がします。
これからもずっと傍で見守ってあげていてね。

by lovely-chandler | 2006-07-01 08:03